西村しのぶさん著
「ナチュラルだったり、さわやかだったりする女、欲情しないから」となんとも男前な事を言いきるケンソウは、男子高校生。
そんな彼と、10年ぶりに再会した幼なじみのゴージャス美人なおねいさんとのラブストーリー。
っていうか、付き合ってるワケじゃないですが。
ストーリーは、ま、読んで頂くとして。
その中で主人公ケンソウくんの同級生の女の子が付き合っていた予備校の先生と別れるとき電話で言った言葉。
愛してるって
こっちが勝手に好きで
それでもいいってことだよ
なんともオトコマエな言葉じゃありませんこと?
以下、結論のないぐだぐだ(読むだけ時間の無駄ともいう)。
「勝手に好きでそれでもいい」
っつーことは見返りを求めないとイコールってことかな、と。
相手が自分をどう思おうと、自分は相手を好きで。
好きだからって、自分を好きになって欲しいわけでもなくて、ただ、その人のことを見ていられればいいとか、感じられればいいとか、そういう存在。
親子とか、血の繋がりのある関係だと、愛ってよく使われますけどね。
男女間だと、なかなか難しい気がします。
恋は求めるモノで、愛は与えるモノみたいな言われ方を良くしますけど。
恋はやはり見返りが欲しい。
愛は愛するという気持を持てたことで十分、みたいな。
で、何をぐだぐだ言ってるかというと、
ヲタ話しになっちゃうんですが、アイドルを好きな気持っていうのは、アタシ的には愛なんですよ。
求めるモノが何もないっつったらウソになりますけど(この辺、またいつか触れたいな)、でも、基本的には見ていられればそれでいいのね。同じ時代に存在してて、生きててくれて、活躍を見ていられる、それだけで十分なわけ。
友達も結構そういう存在だったりしてね。
別に何か言って欲しいわけでもないし、して欲しいわけでもないし、いてくれるだけで救われる存在っているじゃないですか。
会ったり、声きいたり、メール貰ったりして、「やほ、元気?」っつーだけでほわーんって満たされるような。
そういう存在って本当に有り難いです。
逢ったことがある人、ない人。
メールだけの交流の人でも、そんなのはお互いの関係性を左右するものじゃないし。
繋がった瞬間を共有出来た人とだったら、その人との間には愛は存在し得るんじゃないかなぁって思います。
「勝手に好きだから」って言われたら、別に重荷に思う必要もないし、何かをしてあげる必要もないし。つっけんどんなようで、凄く思いやりのある言葉な気がする。
つか「あげる」って言葉好きじゃないんですよ、アタシ。
恩着せがましい気がして。
例えば「貸してあげる」って言われたら、いや、いい。
って頑なに言っちゃうかもしれない。
勿論そんなつもりで言ってるんじゃない人ならいいんですけどね。
自分ではなるべく「あげる」は使わないようにしています。
「してあげる」みたいな「あげる」ね。プレゼントの「あげる」はアリよ。
愛は無償だから素晴らしいとか、愛とは高尚なものであるとか、声高に言うつもりはないんだけど。
でも、自分の周りに愛に溢れてることとか、何気ないことに愛を感じられることとか、ありふれてる日常でも、つつがなく毎日を送れていることの幸せを感じ取っていられたらいいなって思う。
全然話が違って来てるけどさー。
ま、言葉とか台詞とかをきっかけに、ね。
色々考えてみたいな、なんて。
たまには考えないとー。